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これでいいのだ~♪これでいいのだ~♪

仕事が楽しみなら人生は極楽だ。苦しみなら地獄だ。

              マクシム・ゴーリキー 
   



仕事を楽しんでいるのか?

それとも・・・


今の現状は正直わからない。

しかし確実に言える事は、自分の為だけにやっている!


これで、いいのか?


これでいいのだ!(笑)



自分のスキルを磨き将来に繋げる。



これでいいのだ!







wikiーーーーーーーーーーーーーーーーーー  


ニジニ・ノヴゴロドに家具職人の子として生まれる。母ワルワラを肺結核で亡くして10歳で孤児となった後、話が上手であった祖母に育てられる。祖母の死は彼を深く動揺させた。1887年の自殺未遂事件の後、ロシアの各地を職を転々としながら放浪する。

その後、地方新聞の記者となる。1892年にトビリシで、『カフカス』紙に最初の短編『マカル・チュドラ』が掲載され、はじめて筆名としてゴーリキーを名乗った。1895年、『チェルカシュ』を大衆雑誌『ロシアの富』に発表。1898年にはペテルブルクで短編集『記録と物語』を刊行し、一躍人気作家になった。1899年、散文詩『26と1』、最初の長編物語『フォマ・ゴルデーエフ』を発表。その名声はたちまちアントン・チェーホフやレフ・トルストイと比されるまでになった。1902年、代表作である『どん底』を発表し、同年モスクワでコンスタンチン・スタニスラフスキーの演出で上演され、翌1903年、ベルリンでも上演された。

1902年には科学アカデミーの名誉会員に選ばれるが、その急進的な政治的信条を理由にニコライ2世によって取り消された。この事件に対する抗議としてアントン・チェーホフとウラジミール・コロレンコがアカデミーを辞任している。1905年、ボリシェヴィキ組織に入り、レーニンの知己を得る。1905年から1907年までの革命には、ゴーリキーが巨額の援助をしたとされる。

第一次世界大戦の際には、ペトログラードのゴーリキーのアパートはボリシェヴィキの事務室になった。しかし、その後、共産主義に対するゴーリキーの考えは一変し、十月革命の2週間後の手紙にはこう書いている。「レーニンもトロツキーも自由と人権についていかなる考えも持ち合わせていない。彼らは既に権力の毒に冒されている」。1919年、レーニンはゴーリキーに宛てて書いた手紙に「君に忠告する。環境とものの見方、行動を変えるべきだ。さもなくば人生は君から遠ざかってしまうだろう」と書いている。1921年、結核の療養のためイタリアのソレントに移り住んだ。

アレクサンドル・ソルジェニーツィンによれば、ゴーリキーのロシアへの帰還は、イタリアでの暮らしに困ってのことだった。ソレントで、ゴーリキーは貧しくみじめな暮らしを余儀なくされた。1928年以降、何度かソビエト連邦を訪れるようになり、1932年にはスターリンの個人的な求めに応じてロシアに帰った。

ファシスト政権のイタリアからゴーリキーが戻ったのは、ソビエト政府にとっては格好の宣伝材料となった。彼はレーニン勲章を受け、モスクワの邸宅(現在はゴーリキー博物館となっている)と郊外の別荘を贈られる。このとき、モスクワのトヴェルスカヤ通りがゴーリキー通りと改められ、生地のニージニー・ノヴゴロド市もゴーリキー市と改称された(1990年まで)。ゴーリキーはソビエト作家同盟を設立し、その議長に就任する。

1934年、セルゲイ・キーロフが死に、スターリンによる粛清が始まると、ゴーリキーは自宅に軟禁されるようになった。1935年、息子マクシム・ペシコフを亡くした翌年、1936年にモスクワで没する。両者とも毒殺された疑いがあるが、確実なことは分かっていない。

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

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