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ロマンを語ろう!

心にいつもロマンを持とう、
俺もロマンがあったから、ここまで走ってこられた。

                      
                         小林旭




ロマンってかっこよくていい言葉だな~
昔の俳優の人達のコメントってキザだけどいいね(笑)


ロマンって夕日と砂浜のイメージ
砂浜をダッシュ!


古臭いけど・・・


砂浜行くとなぜかやってしまう!


昭和のにおいがぷんぷんですね(汗)


クルーザーとデカイワイングラスそしてサングラス(笑)
ダサいけど・・かっこいいね

男ならいつか!



wikiーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小林 旭(こばやし あきら、1938年(昭和13年)11月3日 - )は、東京市世田谷区出身の俳優、歌手である。身長180cm、体重98kg、血液型AB型[1]。愛称は、マイトガイ。

子役を経て第3期日活ニューフェイスに合格。目黒高等学校(現・目黒学院高等学校)を経て明治大学文学部中退。1956年(昭和31年)、映画『飢える魂』でデビューした。1959年(昭和34年)公開の映画『南国土佐を後にして』で脚光を浴びる。以降、映画「渡り鳥」シリーズ、映画「旋風児」シリーズに主演。石原裕次郎らと共に日活の黄金時代を築く。しかし興行収入が石原主演作より上だった年もあったが、石原よりギャラは低かった。

1958年(昭和33年)、日本コロムビアより『女を忘れろ』で歌手デビューした。映画の『ギターを持った渡り鳥』、映画『銀座旋風児(ぎんざマイトガイ)』などの主題歌、挿入歌を歌い、ヒットさせる。また、「自動車ショー歌」(2005年(平成17年)に放送されたアサヒビールの「カクテルパートナー」のCMソングはこの「自動車ショー歌」をアレンジした「カクパーショー歌」である)、「恋の山手線」などのコミックソング、「昔の名前で出ています」などの演歌も歌っている。これらの楽曲を独特の歌唱で歌いこなす姿から、総称して『アキラ節』と呼ばれることが多い。

1960年(昭和35年)頃に女優の浅丘ルリ子と同棲したが、解消した[2]。

美空ひばりと対談をしてからお互いに慕う仲になり、1962年(昭和37年)に結婚したが、1964年(昭和39年)に離婚した。著書によれば、結婚の際も離婚の際もひばりの父親代わりの山口組3代目組長田岡一雄から頼まれ、逆らうことは出来なかったとのことである。実際には2人はひばりの母の反対で入籍しておらず、戸籍上、ひばりは生涯独身であった。小林は妻であるひばりにもっと仕事をセーブしてほしいと思っていたが、ひばりの母の反対もあり、うまくいかなかった。また、小林が豪奢な生活を好み、勝手に借金を作るなどトラブルを起こし、ひばり母子を失望させたことも原因である(それにより、減らしていた仕事を増やさざるを得なくなっていた)。離婚記者会見には、ひばりと共に田岡が並んで会見し、世間を驚かせた。会見で協議離婚かと聞かれた小林は(協議も何もなかったので)「理解離婚」だと答えたため、理解離婚という言葉が流行語となった。また「未練はいっぱいある。皆さんの前で泣きたいくらいだ」と語っており、自身の本意でなかったと語っている。

1964年(昭和39年)、クラウンレコードへ移籍し、1967年(昭和42年)には女優の青山京子と再婚した。

1970年(昭和45年)から1971年(昭和46年)に、すっかり客足の鈍った日活と大映はダイニチ映配を発足させ、次々に作品を製作するも、両社ともども迷走し、多大なる赤字を被る。自らが主宰するアロー・エンタープライズが製作、そして主演し、得意のアクションを披露したテレビドラマ『ターゲットメン』などを含めた事業の失敗により、小林は14億円もの債務を背負う。

1972年(昭和47年)に東映入り。1973年(昭和48年)より映画『仁義なき戦い』シリーズの『仁義なき戦い 代理戦争』、『仁義なき戦い 頂上作戦』、『仁義なき戦い 完結篇』の武田明役で出演。1978年(昭和53年)、『多羅尾伴内』のリメイク作に主演した。シリーズ化する予定であったが、2作目が興行不振となり打ち切られた。1979年(昭和54年)にはヤンマーの農業用トラクター「ヤンマーディーゼルトラクタ・YM2210」のテレビCMに出演した。

1977年(昭和52年)、発売から2年を経た歌『昔の名前で出ています』で、『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場し、1996年(平成8年)までに7回『紅白』に出場した。

1981年(昭和56年)ポリドールへ移籍し、1985年(昭和60年)に小林の大ファンでもあった大瀧詠一が小林のために書き下ろした(作詞は阿久悠)「熱き心に」がAGFのCMソングとしてヒットし、1986年(昭和61年)の『第37回NHK紅白歌合戦』に2回目の出場を果たす。2002年(平成14年)には大瀧の企画・監修による4枚組CDが発売された。

1988年(昭和63年)、『春来る鬼』で監督業に進出するも、興業不振となる。その後1992年(平成4年)『修羅の伝説』で俳優業に復帰する。

2004年(平成16年)、芸能生活50周年を記念し、石原裕次郎や美空ひばりとのことなど、それまでの人生についてに綴った『熱き心に』を出版した。

2006年(平成18年)、本人をモチーフにしたパチンコ機「CR渡り鳥AKIRA」(藤商事)が登場した。

2007年(平成19年)2月23日、日本プロゴルフ協会(PGA)から、川上哲治、羽佐間正雄らとともにPGA名誉会員(2006年に制定)に認定される。名誉という肩書きではあるが、実際にプロの試合に出て賞金を稼ぐことも可能である。プロとしてシニアツアーに2007年に1試合、2008年(平成20年)は4試合に出場したが、暴力団のゴルフコンペに参加したため、同年にPGA名誉会員の資格を辞退した[3][4]。

2007年(平成19年)4月、自身のニックネームを冠したマイトガイレーベルという芸能制作会社を設立した。マイトガイレーベル第1弾CDとなる、本人の作詞・作曲による新曲「折紙人生」が、NHK『ラジオ深夜便』の7月から9月の「深夜便の歌」として採用される。また、同7月には大阪新歌舞伎座で舞台『無法松の一生』にて20年ぶりの座長公演を務めた。

テーマ : 生き方
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その後・・・・破綻ww
借金1千万円を背負いながら
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